日本で暮らす外国人の子どもが増えています。都内の小学校なら、一学級に3人程度は在籍しているのではないでしょうか。子どもたちは言葉の壁を越えて日本に適応しようと幼いながらに努力していると思います。
このような子どもたちに不適応行動が見られた時、「外国人の子どもだから」と言葉の問題として見過ごされていないでしょうか。
「日本に住んでいるのに、家庭で日本語を使用しないのはいかがなものか」
「外国人の親が日本語を話さないから、子どもの日本語が上達しない」
残念ながらこんな声を、現場で聞くこともあります。
このような発想は、外国で生活した経験のない方にとっては無理のないことかもしれませんが、残念なことに思います。
母国語は自己のアイデンティティーと深く繋がっており、日本に移住した人々にとって母国の言葉は心理的な支えとしての役割を果たすものだと考えます。
またすでに成人している保護者が日本語を習得することは容易ではありません。
家庭で母国語(外国語)が使用されるのは、ごく当たり前の自然なことです。
さて、外国人の子どもに、日本で暮らして2年程度が経過してもなお、計算が苦手、対人スキルに乏しい、文脈や場面の理解が十分でない、などといったことが見られたら、日本語の未習得だけでは説明できない要因を考えるべきではないか、と私は思います。
日本で暮らす外国人とその子どもたちへの心理的な支援(ことに特別支援)は、すでに無視できないものとして日本の社会に存在しているように感じています。
(竹田)